31(Thirty-one) Factory 北原 サエのブログ

文芸作品を創っています。

2021-01-01から1年間の記事一覧

十二「冬の波」

六本木プラザビルが解体される。七十年代の初め頃、よく通ったビルだ。「ニコラス」というピザレストランが入っていた。広々として高級感のある店だったが値段は手頃だったのではないか。当時付き合っていた大学生の彼とよく行った。私は小海老の入ったピザ…

十一「ハンバーグの思い出」

豆腐ハンバーグをつくった。挽肉、玉ねぎ、豆腐、卵を捏ねて焼いたが、食べるとパサパサしておいしくない。何かが違う。そうだ、食パンが切れていたので入れなかった。ふわふわの食感を出すには食パンを入れないと。 子供の頃、木造平屋建ての昭和の家の台所…

十「柿の木」

庭のある昭和の古い木造の家が取り壊されて、ビルを建てるまでの間、駐車場になっていた。駐車場の隅には、庭にあった柿の木が一本残されていた。秋になると、たわわに実をつけた。近所の人が竿で柿の実を落として持ち去っていた。やがて、駐車場にビルが建…

九「アイスティー」

幼い頃、隣の家によく遊びに行った。隣の家は四人家族だった。両親と男の子と女の子の兄弟がいた。下の女の子は、私より五歳くらい年上だった。上のお兄さんは、私ともっと年が離れていたが、仲良くしてもらった。物静かでやさしい少年だった。 お母さまは色…

八「ワンピース」

ハチ公前広場のある渋谷駅前に、SUZUYAというブティックがあった。十代だった私は、放課後や休みの日に、級友たちとよく立ち寄った。店内には、若い女の子の好きそうな服や小物が所狭しと並んでいた。何を買ったという記憶もないので、見るだけで楽し…

七「ぶらんこ」

出会って三か月でプロポーズされた彼と、午後の公園で並んでぶらんこを漕いだ。 プロポーズは承諾したが、その先の未来に何があるのか予測がつかなかった。不確かな未来を暗示しているかのように、揺れるぶらんこから灰白色の空が見えた。 彼とは価値観が合…

六「郷愁の銀座」

数寄屋橋の不二家の並びに鰻屋があり、母と通った。銀座の街に、まだ路面電車が走っていた頃だ。働いて家計を支えていた母にとっても、それは月一度の贅沢だったのだろう。鰻丼に肝吸い、キャベツの塩揉みがついていた。鰻と肝吸いを祖母の土産に買って帰っ…

短歌

五十年後の未来知らない秋の日のオリンピックの空青かった