八「ワンピース」
ハチ公前広場のある渋谷駅前に、SUZUYAというブティックがあった。十代だった私は、放課後や休みの日に、級友たちとよく立ち寄った。店内には、若い女の子の好きそうな服や小物が所狭しと並んでいた。何を買ったという記憶もないので、見るだけで楽しかったのかも知れない。
でも、そのうち私は、見るだけでは飽き足りなくなった。おしゃれがしたい盛りの年頃だった。売り場にあった半袖のニットのワンピースが欲しくてたまらなくなった。値段は六千円くらいだったが、まだアルバイトをして稼ぐこともできない私には手が届かなかった。
「ワンピースが欲しい。買って」と母にねだった。
母は夕方から料理屋に働きに出て暮らしを立てていた。家は貧しかった。母にはその服を買う余裕がなかった。
服を買って欲しいと、しつこくねだると、「学生は勉強すればいいの」と、母に叱責された。
喉から手が出るほど欲しかった服を手にすることができなかった。惨めだった。母はほんとうは、あの服を私に買ってやりたかったかも知れない。
令和のいまも、渋谷駅の前を通ると、(ここにSUZUYAがあったな)と思う。欲しかった半袖のニットのワンピースが甦る。
洋服の買えない暮らし「学生は勉強すればいいの」と母は