31(Thirty-one) Factory 北原 サエのブログ

文芸作品を創っています。

九「アイスティー」

 幼い頃、隣の家によく遊びに行った。隣の家は四人家族だった。両親と男の子と女の子の兄弟がいた。下の女の子は、私より五歳くらい年上だった。上のお兄さんは、私ともっと年が離れていたが、仲良くしてもらった。物静かでやさしい少年だった。

 お母さまは色白のほっそりした品のよい方で、小学校に入学する前から、私を可愛がってくださった。

 隣の家は木造の二階屋だった。居間には皮のソファがあり、黒いピアノが置かれていた。

 夏に行くと、アイスティーがあった。お母さまが紅茶の葉を煮出して作り置きしていたのだろう。子供だった私もご馳走になった。琥珀色の少し濁ったアイスティーにはレモンが入っていた。

 私が八歳の頃、隣の一家は、都心から離れた街に引っ越した。引っ越した後も、私が十二歳の頃までは、私の家と交流が続いていた。

 小学校の夏休みの宿題で、昆虫の標本を作ったことがあった。カナブンの背中に虫ピンを刺して標本にしようとした。カナブンは死なないで足を動かしているので困った。どうしたらよいか、お兄さんに電話で相談した。お兄さんは高校生か大学生になっていたと思う。

 小学校を卒業した私は、私立中学に進学した。あれは中学一年の夏休みではなかったか? 泊まりがけで、一家の暮らす家に一人で遊びに行った。

 二階建ての一軒家だった。畳の居間で家族と一緒にトランプをした。チャーハンを食べた。居間には大きなブラウン管テレビがあり、NHKの番組を見た。「夢であいましょう」ではなかったか? その晩は妹さんと布団を並べて寝た。妹さんは高校生になっていたと思う。

 翌日、お母さまが私を都心の駅まで送ってくださった。新宿のデパートのアクセサリー売場で、私に赤いモザイクブローチを買ってくださった。食堂でお昼をご馳走になった。冷やし中華を食べたことを鮮明に覚えている。

 それが最後の記憶になった。その後、一家とは疎遠になり、まったく音信がなくなってしまった。

 お母さまは身体が弱かったようだ。お元気で年を重ねられただろうか。 

 夏が来ると、昭和三十年代の木造の家のソファのあった居間、レモンの香りがした琥珀色のアイスティーを思い出す。