すき焼きの湯気の向こうに在りし日の部屋の情景懐かしき顔 小島なお先生選

紺鼠の空に宝石散りばめたような街の灯はじめてのパリ 佐佐木頼綱先生選

長いながい映画のフィルム焼きつけた眼球ふたつ燃やす冬の日 東直子先生選

「だいじょうぶ？」「回復してる？」物言わぬ壊れた身体に問いかけてみる 東直子先生選

新しい手帳が並ぶ、私とは関係なしに月日は駆ける 佐伯裕子先生選

引き出しの褪せたレシート思い出すあの頃の街、きみとの暮らし 佐伯裕子先生選

涙など武器にはならず幾たびの恋を失くして知った私は 永田和宏先生選

空っぽのコンビニ袋のこりおり きみと別れた雨の歩道に 大松達知先生選

虫取り網、スクール水着手放した そして私は大人になった 大松達知先生選

十年も出番なかった物置のシャベル登場 大雪の朝 伊藤一彦先生選

山の端に沈まぬ夕日どうしても消せない携帯番号のあり 伊藤一彦先生選

不意に聞く別れのことば冬の夜、窓のレースのカーテン寒し 坂井修一先生選

焔白い微熱を秘めて熟さない恋に似ている冬のトマトは 坂井修一先生選

黄ばみたる紙うらおもてに細かい字、祖父の手紙に昭和のありて 小島なお先生選

青空にたしかにあったアドバルーン路面電車の走る街には 小島なお先生選

のぼり坂きつくなるとき老い人は静かに去りゆく坂多き街 栗木京子先生選

思い出の特等席にいつもあるきみと出会った雪の通学路 坂井修一先生選

母を捨てるような気がした五十年使いし本棚ゴミにだすとき 小池光先生選

生まれたるスマホの林 文庫本読むひと消えた通勤電車 佐伯裕子先生選

独居せる友逝きし日は日曜と聞いてよけいに悲しくなりぬ 小島なお先生選

ベランダの万年青の鉢は知っている四半世紀の家の歴史を 小池光先生選